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京都2016冬日帰り旅【大徳寺・聚光院】その1 [旅行]

慌ただしく日帰りで出掛けてきました、今年4回目の京都(;´∀`)

6時47分発の新幹線(のぞみ)に乗り、9時8分に遅れる事無く京都駅到着。
今回の旅メイン目的「大徳寺・聚光院」の拝観時間は10時20分から(しかも10分前には現地に集合とのこと)と決まっているのでとにかく時間がギリッギリなのです。
駅前からバスだけで行こうとすると到底間に合いそうも無いので(バスで行くと道路が空いていても軽く1時間近くかかります)地下鉄とバスを乗り継いで行く事にしました。

地下鉄烏丸線で北大路駅へ。
京都駅前のバスセンターで1日観光券を購入したり、電車来るまで時間がかかったりして北大路駅着いたのは9時45分頃。
北大路駅バスターミナルで乗るバスに迷わない様に予め系統を調べ、地下鉄内で系統別の各バス時刻表も調べておいたのですが(以前北大路バスターミナルで乗り場と系統で迷った事があったので)行き先別にでかでかと案内表示があり、バスもすぐに来たので時間のロスなく大徳寺に到着することが出来ました。
大徳寺-1.jpg




長くなるので記事折り畳みます。



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集合時間まで少しだけ時間があったので境内を散策しながら移動します。
赤い朱塗りの山門(重要文化財)
大徳寺-2.jpg
先月行った南禅寺の三門とは違い、近くで見たり登ったりする事はできません。
もともとこの山門の上に楼閣はなかったのですが、利休の寄進により2階部分の「金毛閣」が出来たそうです。
この金毛閣に利休像を置いた事で秀吉の怒りを買ってしまい(太閤なのに利休の下を通って寺に入る事になるから)切腹に追いやられたという説もあるそうで。

山門のすぐ向かいには仏殿があり、その前には京都市指定天然記念物となっている「大徳寺のイブキ」が植えられています。
大徳寺-3.jpg
少しカメラ引いたくらいでは到底入り切れない大きさ[あせあせ(飛び散る汗)]
仏殿が再建されたのが1665年(寛文5年)で、イブキもその頃に植えられたと考えられているそうで。


この仏殿の天井には狩野元信による雲龍図が描かれているのですが、だいぶ古びていて「何か描いてあるんだろうけれど…何??」状態になっていました。
仏殿-雲竜図.jpg
(仏殿の写真撮影は禁止されては居ない様でしたが、堂内が相当暗かったので写真は撮って来ず。上の写真は拾い物です)


そうこうしている内に拝観時間が近づいて来たので移動。
大徳寺-4.jpg

因みに大徳寺本坊自体は特別拝観時でないと方丈(国宝)や法堂(重要文化財)を拝観する事ができません。
大徳寺−5.jpg
大徳寺−6.jpg
宗務本所前には「拝観謝絶」の通行止め看板が。


今回拝観する聚光院は1566年(永禄9年)に三好義継が父・長慶の菩提を弔うために建てた塔頭です。
大徳寺-7.jpg
大徳寺-8.jpg
聚光院の特別拝観は2012年(※)以来だそうなのですが、その時に見る事が出来た狩野派による襖絵の数々は全て複製品でした(オリジナルは京都国立博物館へ寄託)
(※) 2012年ではなく2014年以来、でした。実は2014年の正月に京都旅行した際に聚光院見ていたのにすっかり忘れている辺り…[あせあせ(飛び散る汗)]
 2013年秋の台風で聚光院の庭は甚大な被害を受けており、2014年に入ってからも修理中で足場組んで庭も見られなかった状態だったので、記憶から抜け去っていた様です[たらーっ(汗)]


今回は聚光院創建450年を記念して、1年間限定(2016年3月1日~2017年3月26日)でオリジナルの襖絵が全てあるべき場所で見られるとのこと。
そして2013年に落成した書院を飾る千住博画伯の障壁画も初公開されるとのことで期待が高まります。


撮影可能なのは入口の庭園部分まで。
大徳寺-9.jpg
大徳寺-10.jpg
予約時間グループごとに纏まって、ガイドツアーによる説明を聞きながら左回り順に拝観になります。
聚光院.jpg
寺院自体も重要文化財になっているのと動線がかなり狭くなっているところもあるとのことで、まずは入口で手荷物も全て預けて完全手ぶら状態に(御朱印などはこの入口部分で戴く事が出来ました)。


まずは方丈(本堂)庭園「百積の庭」を見学。白砂が敷かれていた時代(明治頃)もあったそうですが、今は杉苔に全面覆われた庭園になっていました。
庭の奥には千利休始め、代々の表千家・裏千家の方の墓所があるそうです(墓所の見学は不可)

続いて狩野永徳の父、松栄による「瀟湘八景図」(国宝)のある礼の間。
松栄-八景.jpg

そして狩野永徳の「花鳥図」(国宝)
永徳-花鳥図.jpg

見学では奥の襖を開けてあり、父・松栄による「蓮池藻魚図」(国宝)も見られる様になっていました。
蓮池藻魚図.jpg


次の「檀那の間」には狩野永徳24才の時に描いた「琴棋書画図」(国宝)
琴棋書画図.jpg
花鳥図とはやや異なり、かっちりとした描き方の襖図です。


「衣鉢の間」には父・松栄による「竹虎遊猿図」
松栄.jpg
狩野松栄筆『竹虎遊猿図』2s.jpg
狩野派にしては随分とユルくて可愛らしい虎と猿です。

狩野松栄は狩野派様式を確立させた狩野派二代目・元信の三男で、早世した兄の代わりに狩野派三代目を継ぎます。
が、元信は松栄よりも松栄の子供である永徳に絵の才能を見出し、永徳が幼い頃から絵の描き方を指南したそうです。
松栄としては才能に恵まれた父と子に挟まれてだいぶ肩身が狭い思いをしていたのか、この「竹虎遊猿図」では右上の白い猿を父・元信、母猿に抱かれた白い子猿を永徳、その隣でしかめっ面をしている普通毛の父猿を自分に見立てて描いたんだとか…w


聚光院ではまず永徳の「花鳥図」が大きく取り上げられますが、改めてしかめっ面の父親猿を見直すと、複雑な親子関係模様に悩む様子をテナガザルの親子に見立てて描いた松栄の襖図もなかなか味わい深いものがあるかと…(*´ω`*)




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