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生誕140年記念特別展「木島櫻谷」@泉屋博古館分館 [美術館]

1つ前の記事の冒頭にも書きましたが、昨日は六本木にある泉屋博古館分館へ「木島櫻谷」展を見に出掛けてきました。
木島1.jpg


泉屋博古館(せんおくはくこかん)分館、南北線の「六本木一丁目」駅で降りればすぐ傍なのですが、家からだと南北線乗り継ぎが使いにくい[たらーっ(汗)]
開館時間に合わせて出掛けたつもりが、座れそうな各駅停車に変更したり、六本木駅からのんびり歩いて行ったりしたので到着したのは開館から20分ほど過ぎた頃でした(;´∀`)


泉屋博古館へ続くエスカレーターの上には宣伝用の垂れ幕が。
木島2.jpg
フライヤーにも載っている作品「寒月」が今回の推し作品みたいです。


一昨年行った時は夏だったのでアガパンサスが沢山咲いていましたが、今の時期はちょっと殺風景かな。
木島3.jpg
木島4.jpg
まだ初日だし知名度もそれほど高くない画家だし(←失礼[たらーっ(汗)])それほど混んでいないんじゃないかな、と考えていましたが、それなりに館内は賑わっていました。



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木島櫻谷(このしまおうこく)は明治時代から昭和初期にかけて活躍した京都画壇の日本画家です。今尾景年に師事し「大正の呉春」「最後の四条派」とも呼ばれたほどの腕前を持っていました。
作品に動物を描いたものが多く、今回の特別展も「Part1 近代動物画の冒険」との副題が付いています。

京都画壇で四条派で動物モチーフ、と来ると、山種美術館が所蔵する「班猫」で有名な竹内栖鳳がまず思い浮かぶのですが、晩年まで絵を書き続けた栖鳳とは異なり、櫻谷は晩年画壇から距離を置き京都・衣笠にある邸宅で隠遁生活。昭和13年(1938)11月に出先の大阪・枚方で電車事故に逢い、62才という若さで逝去してしまいます。

当時は「動物を描かせたらその匂いまで描く」と言われた竹内栖鳳と人気を二分するほどの人気があったそうですが、亡くなった後は世間から徐々に忘れ去られた存在に。
地元京都でも30年前に回顧展が一度行われて以来大規模な展覧会は全く行われていなかったそうなのですが、2013年に京都の泉屋博古館で25年ぶりに回顧展が開催したことをきっかけに近年再評価されつつある画家です。

実は昨年秋、一足先に木島櫻谷地元の京都で生誕140年を記念し、泉屋博古館(京都・鹿ヶ谷)と木島櫻谷旧邸にある櫻谷文庫、京都文化博物館でそれぞれ特別企画展が行われていました。
木島-京都.jpg
…見に行きたかったんですけれどね(;´∀`) 東京にも巡回するという事だったので待っていたんですよ[たらーっ(汗)] でもやっぱり京都にも見に行っておけば良かったかなぁ…。


まぁ、斯く言う私も木島櫻谷という画家の名前を知ったのはここ5年くらいの事でして。
2013年に東京藝術大学美術館で開催されていた「夏目漱石の美術世界展」で、今回の推し作品でもある「寒月」が当時新聞紙上で漱石にけちょんけちょんに酷評された、という事で名前を知った訳です。

最も「寒月」は後期からの出品だったので、展覧会前期に見に行った私は櫻谷の実物作品は見ておらず、実際に櫻谷作品を目にしたのは山種美術館で2年前に見に行った特別展「村上華岳 ―京都画壇の画家たち」に出品されていた「角とぐ鹿」という作品が初でした。
木島角とぐ鹿.jpg


前述した「寒月」は明治45年(1912)第六回文展で二席一等を取っているのですが、漱石は当時この様に酷評しています。

「去年沢山の鹿を並べて二等賞を取った人である。あの鹿は色といい、今思い出しても気持ちの悪くなる鹿である。今年の「寒月」も不愉快な点に於ては決してあの鹿に劣るまいと思う。屏風に月と竹とそれから狐だか何だか動物が一匹いる。その月は寒いでしょうと云っている。竹は夜でしょうと云っている。所が動物はいえ昼間ですと答えている。兎に角屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」


「去年沢山の鹿を並べて」とあるのは、明治44年(1911)第五回文展出品作品「若葉の山」を指しているようです。
木島鹿.jpg
(「若葉の山」はアメリカの個人蔵になっているそうで、今回の特別展ではパネル紹介のみ)


「寒月」と言い「若葉の山」と言い、何がそれほど漱石先生の気に入らなかったのか判らないですが、とにかく容赦なく酷評しています。
余談ですが、漱石は櫻谷の師匠である"今尾景年"の作品「躍鯉図」についてもこのように酷評しています。
景年鯉.jpg

「鯉は食うのも見るのも余り好かない自分である。この踊り方に至っては甚だ好かないのである。」


鯉がキライだからこの絵もキライ、と我が儘言っているとしか思えない評価です。
最も漱石はイギリス留学時代にあちこちの美術館で写実的な西洋美術作品を多数鑑賞しており、芸術に関してはそれなりに目が肥えていた模様。ただ誇張し過ぎた感や狙い過ぎた感を持った作品は妙に毛嫌いしていたようでもあります。

確かに櫻谷作品は驚く程写実的に描かれている作品もあれば、これはちょっと骨格的に、見た目的に少しおかしい…?と微妙な違和感を覚えてしまう作品もありました。
アンドロイドがどう人間に近づいてもある一種の違和感を感じてしまう「不気味の谷現象」の如く。


そんな中で魅入ってしまったのはこの作品「かりくら」
木島かりくら2.jpg
木島かりくら1.jpg


この作品も明治43年(1910)第四回文展に出品され、入賞した作品なのですが、明治44年(1911)2月に東京の巽画会、4月にイタリアで開催されていた羅馬(ローマ)万国美術博覧会に出品された後行方不明になってしまいます。
櫻谷が逝去して3年後の昭和16年(1941)に開催された追悼展でも出品記録が無く、完全に失われた作品と思われていましたが、近年京都・衣笠にある木島櫻谷旧邸を探索したところ表装から剥がされ竹竿に巻かれた「マクリ」状態で残っていたのを100年ぶりに発見
発見当初は絹本部分だけが竹竿に無造作に巻かれた状態であったため染みや皺だらけ。絵具の剥落も酷く修正が難しい状態だったそうですが、住友財団から助成金を受けて2年がかりで修復することが出来たとの事でした。


非常に大きな作品なこともあり、馬の躍動感が素晴らしく映える。作品の前でしばし魅入ってしまいました。
修復前の状態のパネルもありましたが、よくもまぁこの酷い状態から修復出来たものだ、と二重の意味で感心。


会場では作品以外にも衣笠の邸宅で見つかった岩絵具の展示や、生前の櫻谷と家族を撮影したフィルムの上映があったり、となかなか興味深い展覧会でした。


出品数は全部で34点(スケッチ帖などは除いて)と少なめですが、大きめな作品が多いのと館内もそれほど広くない美術館なので、前期(2/24~3/18)後期(3/20~4/8)と分けて展示するみたいです。
後期も出来れば見に行きたいのですが、これから見に行きたい展覧会も沢山出て来るし、行けるかなーー[たらーっ(汗)]


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ゆりあ

木島櫻谷、まるっきり存じない画家さんですが「動物を描かせたらその匂いまで描く」と言われる通り、まさに動き出してきそうな画ですね。
特に、動物の眼差しとか優しい感じですよね。
by ゆりあ (2018-02-26 00:39) 

そらそら

あ、いや、紛らわしい書き方で申し訳ないです。
「動物を描かせたらその匂いまで描く」と言われたのは竹内栖鳳(たけうち せいほう)の方で、木島櫻谷は「大正の呉春」「最後の四条派」「文展の寵児」などと言われていたそうです。
「文展の寵児」という呼ばれ方は文展や帝展に作品を出す度に賞を貰えていたほどの腕の持ち主だったから、と言われていますが、文展の審査員でもあった師匠の今尾景年が(弟子の中でも特に可愛がっていた)櫻谷の作品をめちゃくちゃ推薦しまくって賞を与えていた、という一説もあります。
その為、櫻谷は徐々に画壇から疎まれる様になり、画壇から距離を置く様になったとも。
晩年まで絵を描き続けていれば、もっと沢山の名作が生まれていたのかもしれないのに残念なことです。
by そらそら (2018-02-26 19:20) 

middrinn

木島櫻谷のことは、小生はよく知らなかったので大変興味深く拝読し、
お世辞抜きで勉強になりましたm(__)m 芸術新潮2017年11月号に、
「京都日本画秋の陣 動物名人木島櫻谷 VS 女人礼讃岡本神草」という
記事が本展にも言及してましたが、「初期文展の寵児とさえ謳われ、
売れっ子画家として多作でもあった木島櫻谷の評価が没後に高まらな
かった理由は神草に比べてより微妙であろう。ここではそれについて
立ち入らないが、・・・」とあって、「理由」が気になります^_^;
それに関連するのかしないのか、漱石の文展評ですけど、御紹介の
展覧会とタイアップの同誌2013年6月号の特集でも紹介されていて、
玉稿のお蔭で改めて関心をもって読み直すことが出来ました(^_^;)
細かいことですけど、漢字や仮名遣いの違いはさておき、同誌だと
「あの鹿は色といひ眼付といひ、今思ひ出しても・・・」とあって、
「眼付といひ」が玉稿では欠落しているのかもしれません(^_^;)
by middrinn (2018-02-26 23:13) 

そらそら

そう言えば岡本神草もあれだけインパクトある女性を描く人なのに、人口に膾炙していない画家ですよね。
先月まで笠岡市立竹喬美術館で「岡本神草の時代」という特別展が開催されていて行ってみたかったのですが流石に岡山県は遠い…(;´∀`)
(しかも巡回展で、岡山の前は京都国立近代美術館で開催されていたんですよね; 仕事忙しくなければ秋に京都行きたかったわぁ;)
木島櫻谷が忘れられた画家となった理由…(推測も入るのですが)
ゆりあさん宛のコメントでも描いた様に、櫻谷が京都画壇から抜けてしまったのは師匠の今尾景年が文展で櫻谷の作品をとにかくプッシュしまくっていたため、他の画家たちから疎んじられる立場になったことも関係しているようなのですが、その後櫻谷は徐々に精神を病んでいったそうです。
亡くなった原因は電車事故、と書いたのですが、これが事故ではなく自死だったとも取れる書き方をしているサイトもあり、後者だとすれば徐々に忘れていかれた、というよりは忘れようとされたのかもしれません。
漱石の文評の文体は某個人サイトでの記載を参考とさせて頂いたのですが、確かに「目付といひ」は抜けちゃってましたね; 文評が記載されていた新聞の年号なども詳しく記載されていたサイトがあったのですが、うっかりタブ閉じてしまって何処のサイトで見た文献だったか見つけられませんでした(;´∀`)
by そらそら (2018-02-27 22:36) 

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