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2018年晩秋 京都紅葉旅:東福寺方丈庭園「八相の庭」 [旅行]

まだ春にはほど遠い寒さが続いています(まぁ今日は少し暖かめでしたけど)
でもそろそろやってくるのがスギ花粉…(;´Д`)
確実に鼻はむずむずしてくるし、眼もかゆかゆ[あせあせ(飛び散る汗)] ヒノキ花粉が終わる頃までマスクが手放せない日々が続きます(今年はインフル予防で既にマスク生活続いていますが)


「八相の庭」を見に東福寺方丈へやってきました。
東福寺40.jpg
昭和14年(1939年)に重森三玲により作られた方丈庭園には東西南北と四庭が配されています。
庭園がある方丈は数あれど、四周全てに庭園があるのはここ東福寺だけなのだとか。
仏教の「八相成道(はっそうじょうどう)」に因んで「八相の庭」と称されていたそうですが、2014年に国指定名勝に登録された際に「国指定名勝 東福寺本坊庭園」となったそうです。
なので正式には「本坊庭園」と書くべきなのかもですが、ちょっと味気ない感じがするので「八相の庭」の名称で通します。



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拝観料を納めて、庫裡から渡り廊下を過ぎると、すぐに南庭
東福寺41.jpg
四庭の中では広さ二百十坪と一番広大な南庭には仙人の住む島となる四仙島「蓬莱(ほうらい)」「方丈」「瀛洲(えいしゅう)」「壺梁(こりょう)」を表現した石組と、京都の五山を表す苔山が配置されています。
(上の写真だと一番奥の苔山が「五山」、その手前から「方丈」「壺梁(こりょう)」「蓬莱」「瀛洲(えいしゅう)」の石組)

渦巻く砂紋は「八海」を表しているのだとか。
東福寺42.jpg


正面に見える唐破風の門は昭憲皇太后(明治天皇皇后)の寄進と伝わる通称「恩賜門」
東福寺43.jpg

方丈の外側から撮った恩賜門
東福寺44.jpg
東福寺方丈は明治14年(1881年)に火災で焼失しており、現在の方丈は明治23年(1890年)に再建されたものです。

この恩賜門も古く見えますが、明治期に造られたものだそうで。
東福寺45.jpg
東福寺46.jpg


刈り込まれたさつきと方形に区切られた葛石(かずらいし)で市松模様の西庭
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「井」の字に等分した古代中国の田制「井田(せいでん)」に因み、「井田市松(せいでんいちまつ)」と称されています。

その西庭から北庭へと続く廊下の途中には通天橋が望める「通天台」と呼ばれる舞台があるのですが
東福寺48.jpg

人が多くて舞台の全体像が写せなかった(;´∀`)
東福寺49.jpg
広さ3畳程度くらいの小さな舞台なのですが、通天閣と眼下に渓谷「洗玉澗(せんぎょくかん)」を見る事が出来ます。
東福寺50.jpg


次は北庭へ 
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通称「小市松」ウマスギゴケと敷石の市松模様がとにかく美しい庭です。
東福寺51.jpg

コケも素晴らしいのですが、鈍色に光って見える敷石もなかなか
東福寺52.jpg

この敷石は勅使門から方丈に向けて敷きつめられていた切石を再利用したものだそうです。
明治14年に火災で焼失する以前に使われていた石、という事なんでしょうかね(*´ω`*)
東福寺53.jpg

別角度から見た北庭
東福寺54.jpg
市松模様は奥側に行くに従い不規則な並びになるので、見る角度によって全く違うイメージになります。


北庭を抜けて東庭に通じる廊下には苔を使ったテラリウムが飾られていました。
これはミニチュアの北庭バージョン
東福寺55.jpg

通天橋が飾られた苔テラリウムもあります。
東福寺56.jpg
これ、良いなぁ、欲しいなぁーーー(*´ω`*)

大きな御朱印もよく見れば
東福寺57.jpg

文字の部分が苔Σ(・ω・/)/
東福寺58.jpg


「そうだ、京都、行こう」のキャンペーン「モシュ印/コケ寺リウム」の一環でした。
東福寺59.jpg
(既にキャンペーンは終わっていますが)ハッシュタグ付けてインスタグラムに投稿すると、Amazonギフト券とかが当たるとか。
でもインスタとかTwitterとかSNS系はやっていないしなぁ…(*´ω`*) 写真だけ撮ってきました。


茶処付近の庭園
東福寺60.jpg
北庭から東庭に至るまでの名も無い庭



東庭は円柱の石で北斗七星と、二重生垣で天の川を表した庭なのですが
東福寺61.jpg
…完全に撮影ポイント間違えました…orz 星を表す7つの石柱が4つしか写っていない…[たらーっ(汗)]

東福寺は重森三玲が作庭する際、一つだけ条件を出しました。
それは「境内にあった材料を全て廃棄することなく再利用すること」
東庭にある北斗七星を示す石柱は元は東司(とうす/お手洗いの事)の柱石に使われていた余り石なのだそうです。
北庭に使われていた市松模様の敷石と言い、戦前に作庭されたとは思えない程斬新でモダンなデザインにただただ脱帽。



方丈庭園を出て一休み。
東福寺62.JPG
光明宝殿前にあるお茶屋で甘酒を戴きました。
この六角型の湯呑み、欲しいなぁと思っていた赤絵うさぎのヤツだ。
前日に行った永観堂内の茶屋が出来合いの茶団子でイマイチだったので無難に甘酒にしてみましたが、ここの甘酒は美味しかったです(*´ω`*)


休憩後に境内を少しだけ散策します。
大きな門は応永12年(1405年)に落慶した三門。
東福寺63.jpg
残存する三門の中でも最も古いもので、国宝に指定されています(方丈と離れた位置にあったお陰か、方丈が全焼した明治14年の災禍は免れています)
東福寺駅から歩いてくると裏手側になる日下門から入る事になるのですが、本来はここが正面側。
楼上内部には二本の柱があるだけで広々としており、須弥壇上に宝冠釈迦如来、十六羅漢像が安置されているそうなのですが、楼上に登れるのは涅槃会が行われる3/14、15、16の3日間のみ[たらーっ(汗)]
この日は参拝者に無料で甘酒も振舞われるそうです。
今年は無理だけど、いつか涅槃会の時期に来て三門に登楼してみたいですね。

スマホで撮影したら変なフレア入った(;´Д`)
東福寺64.JPG

扁額には「妙雲閣(みょううんかく)」と書かれているそうなのですが、よく見ると「妙」の字が何か「妙」…?(;´∀`)
東福寺65.jpg
この扁額の文字は足利幕府四代将軍である足利義持の直筆によるものだそうですが、女人禁制という禅の教えに基づき「妙」の「女」偏を避けて「玄」が代用されているのだとか。


山門の横手側には何故か鳥居が並んでいます。
東福寺66.jpg

五社成就宮(ごしゃじょうじゅきゅう)への参道だったみたいです。
東福寺67.jpg
何で寺院内に神社?と思ったのですが、ここは元々は藤原忠平が創建した総社の法性寺という寺があり、摂政忠道(と説明看板にはあったけれど、藤原忠通のことか?)の時代には祇園会(祇園祭)にも匹敵するほどの祭礼「総社祭」が執り行われる程賑わっていたそうです。
藤原家の衰退により五社成就宮になってしまったのかは判りませんが、文禄三年(1594年)に岩清水八幡、賀茂、稲荷、春日、日吉の五社を祀った東福寺の鎮守社となったようで。
因みに今でも法性寺は残っているのですが小規模の尼寺になっているようです。


時間に余裕があれば境内をもう少し散策したかったのですが、この後まだ行きたい所があったので五社成就宮のお参りは諦めて次の目的地へ向かいました。
(五社成就宮までの階段を昇る気力が無くなっていたから、とは言うまい(;´∀`))




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middrinn

百人一首もそうですが、書の法性寺流もあるように、忠通と言えば、
「法性寺殿」ですね(^_^;) 兼実ならば「後法性寺殿」ですが^_^;
by middrinn (2019-02-17 10:47) 

そらそら

流石はmiddrinn様ヽ(・∀・)ノ
私は書の方はサッパリなのですが、書も寺院での流派があった訳なのですね。
で、藤原ただみちはやはり忠道じゃなくて忠通で良かったのか(;´∀`)
説明板見ると「忠道」としっかり描かれているんですも;
誤字変換で気付かなかったのかどうなのか謎ですが、東福寺関係者の方、直してあげてほしいです。
by そらそら (2019-02-17 14:01) 

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