So-net無料ブログ作成

史跡 足利学校では何を教えていたのか? [旅行]

うろちょろ記ブログ、本日でちょうど3周年です(*゚∀゚)[ダッシュ(走り出すさま)]
めっきりカタツムリ並みの更新状態ですが、いつもnice!やコメントを戴く皆様方に大感謝を[ぴかぴか(新しい)]
4年目に突入のうろちょろ記、もうちょい頑張って更新しますのでよろしくお願い致します(;´∀`)


10連休のGWもすっかり後半になって早くも残り3日となりましたが、連休初日に出掛けて来た日帰り栃木旅行の続きネタで( *´ー`)y─┛~oΟ

あしかがフラワーパークの次は妹&母は佐野プレミアム・アウトレットに出掛けたかった様なのですが、私が「足利学校に行こうかと思っていたんだけど」と言うとあっさり承諾してくれました。

足利学校近くの観光車向け駐車場に車を止め、その近くにあったお蕎麦屋さんで軽くお昼ご飯を食べてから「史跡足利学校」へ。
足利学校1.JPG
↑因みにこっちは裏門。こちらからは入れないので正門側に当たる入徳門側に向かいます。


続きは ↓ から



にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へブログランキング・にほんブログ村へ


足利学校近くにあった大きな蔵
足利学校2.JPG

近くには鑁阿寺(ばんなじ)という大きな寺院もあるので、足利学校付近は観光地化されていたり…?と思いましたが、案外お店とかは少なめみたいです。
足利学校3.JPG

史跡足利学校へはこの入徳門から入ります。
足利学校4.JPG
扁額に書かれている「入徳」の文字は、紀伊徳川家第11代藩主大納言 徳川斎順(とくがわなりゆき)によるものだそうです。
入徳門は元々の門は天保2年(1831)に鑁阿寺安養院(あんよういん)の火災により焼失してしまい、現存しているものは天保11年(1840)頃に修築されたものだとか。


参観料を払い、すぐ横にある休憩室みたいなところに入ると、史跡足利学校の歴史について説明している15分ほどのビデオが上映中だったので、一通り見てから進む事に。

歴史には全く疎いため「足利学校は江戸時代くらいに作られた学校なのかな」と思っていたら、奈良時代の国学遺制が基とか、小野篁(おののたかむら)が創設したという説(※)もあったり、ということで、それが本当なら1200~1300年近い歴史がある学校なんじゃないの…Σ(・ω・/)/
(※)足利学校の創建説については他にも諸説有ります。


足利学校の歴史が明確になるのは室町時代中期以降。
山内上杉家八代目当主の上杉憲実(うえすぎのりざね)が永享11年(1439)に衰退していた足利学校を整備して、孔子の教えである「儒学」の経典を寄進するなど学校の復興に力を注ぐ訳です。

そんな訳で校内には孔子像も
足利学校5.JPG
因みに学校内では儒学を中心に教えていたそうですが、兵站と易学についても教えていたそうです。
兵站は分かるけれど、易学って占い…??
何でも当時は戦いを仕掛けるにも日を占って決めたとかで、易学も重要な戦法の一つだったそうで。
ほほーーーぅσ(・ω・o)


入徳門を入ってから真っすぐ進んで行くと
足利学校6.JPG
二門目の門「学校門」があります。
足利学校7.JPG
足利学校8.JPG
この門は火災による焼失を免れたみたいで、寛文8年(1668)に創建された当時のままのようです。
「學校」の文字は明(みん)の蒋 龍渓(しょうりゅうけい)が弘治元年(1555)に来日した際にしたためた書を当時の国史館 狛庸(こまやすし)が縮模して扁額にしたものなんだとか。


学校門の更に奥には三門目の「杏壇門」
足利学校9.jpg
足利学校10.jpg
杏壇門も明治25年(1892)の火災により屋根や門扉部分を焼失しており、後年再建されたものです。
扁額の「杏壇」の文字は紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝(とくがわはるとみ)によるもの。

杏壇門の奥には孔子像と小野篁像を祀った大成殿があるのですが、現在修復中で見る事が出来ず(;´Д`)
足利学校11.jpg


主屋部分と
足利学校13.jpg
足利学校14.jpg

主屋前にある南庭園
足利学校12.jpg

当時の学生達の寮代わりとなっていた衆寮
足利学校15.jpg
足利学校16.jpg
足利学校17.jpg


主屋の中は見学出来る様なので入ってみました。
足利学校18.jpg
主屋は方丈、書院、庫裡から成る建物で入口は庫裡にあたっているらしく、土間に竈や水場、消火ポンプなどが置いてあります。


オリジナルの「學校」扁額も展示されていました。
足利学校19.jpg
学校門が寛文8年(1668)に創建された際に掲げられていた物で、足利学校の中で寛文8年(1668)に創建された大成殿と同じく、足利学校に現存する中で尤も古いものだとか。

新デザインの一万円札に起用された事で話題になっている澁澤栄一氏の書跡も展示
足利学校20.jpg
明治44年(1911)に書かれた書で、論語に書かれた孔子の人柄を表す「温良恭倹譲」を元にした「温良恭謙譲(おんりょうきょうけんじょう)」と書かれているそうです。


大成殿に展示されていた孔子像と小野篁像もこちらで展示されていました。
足利学校21.jpg
足利学校22.jpg
小野篁像の横には、上杉憲実(うえすぎのりざね)像もあったのですが、写真撮り損ねました[たらーっ(汗)]

middrinnさんが2つ下の記事※で
「上杉氏は藤原氏の出身だけど何か関係あるのかしら(@_@;) 」と書かれていましたが、上杉憲実の主君が四代鎌倉公方の足利持氏(あしかが もちうじ)だったことと何かしら関連性があるようですね。
足利持氏が幕府との対立を高めていき、それを諌めようとした上杉憲実を次第に疎んじる様になり、暗殺まで計画するのですが幕府側にバレて失策。
(憲実が足利学校を立て直し始めたのと同じ)永享11年(1439)に幕命を受けた上杉憲実らに永安寺を包囲され42歳で自害しています。

上杉憲実という人は自分の出世や保身は二の次に考える様な人物だったようで、自分を亡き者にしようと企んだ持氏の処遇さえも軽くして貰える様、幕府に算段していたようなのです。
しかし憲実の願いは届かず、元は主君であった持氏を自害させてしまったという自責の念があったようで、後年は出家して行脚しています。
足利学校のすぐ近くにある鑁阿寺(ばんなじ)は元は2代目の足利家当主 足利 義兼(あしかが よしかね)が居館に建立した持仏堂が元なので、少しでも足利家に関係がある施設で供養の意味で気を留めたのかもしれません。
余談ですが、上杉憲実は足利学校の他に金沢文庫も再興しています。


書院から見た北庭園
足利学校23.jpg
南庭園よりも格の高い造りの庭。
亀の形をした中島には弁財天を祀る小さな祠が安置されています。
南庭園よりも古い時代に作られており、少なくとも3回改修された跡が残っているそうです。
良い感じの庭なのに、大成殿の工事シートがちょっと無粋で残念(;´Д`)


大成殿の修繕が終わったらまた一度来てみたいものです。
足利学校24.jpg


大成殿の向かって左横には
足利学校25.jpg
足利学校26.jpg
大正時代に建てられた旧足利学校遺跡図書館があります。


妹と母は先に入口付近にあった休憩室に戻ってしまったので私だけ内部見学。
奥側を覗いてみると何ともレトロな感じ漂うお手洗いが。
足利学校27.jpg

使える様なので入ってみましたが
足利学校28.jpg
あれ?Σ(・ω・/)/ 入口にはちゃんと「女性用」って書いてあったよね??

よく見ると男性用小便器には「使用禁止」と書いてあります。以前は男女共用のトイレだったのかもしれませんが詳細は不明。
奥側には女性用の個室が2つありました。
足利学校29.jpg
古いお手洗いなのでもしや汲取とかだったらどうしよう…(;´∀`)と思いましたが、内部はちゃんと今風のお手洗いになっていました。
小便器と手洗い場の人研ぎ(じんとぎ)は当時のままのものでしょう。
小学校時分を思い出してちょっとだけ懐かしくなりました。
今の小学校の流しやトイレなんかでは人研ぎなんか使われていないんだろうなぁ…[たらーっ(汗)]
(そして図書館部分は写真禁止なので写真無しなのが残念[たらーっ(汗)] middrinnさんが驚喜しそうな古書が沢山置いてありましたよ)


図書館前には栃木県指定の天然記念物ナンバンハゼの大木が植えられています。
足利学校30.jpg
東日本には自生しない木で、図書館が出来てから7年後の大正11年3月に林学博士の白澤保美さんにより寄贈されたものだそうです。
ナンバンハゼはイチョウと同様に雌雄がある樹木で、これは雌木のため花は咲くけれど結実はしないと書かれていました。


今度は大成殿の修繕が終わった頃に再訪したいですね。


にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へブログランキング・にほんブログ村へ




タグ:栃木旅行
nice!(10)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

nice! 10

コメント 2

middrinn

ブログ開設3周年、おめでとうございま~すヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
拙ブログより2ヶ月年下なら今後は呼び捨てよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
2人の日本中世史の大家が認定して以来、上杉憲実は腹黒説が通説ですが、
反駁する説も提出され、どちらが正しいのやら(^_^;) フラワーパークが
藤の花を売り物にするのは上杉氏が藤原氏の出だからかと小生妄想^_^;
by middrinn (2019-05-04 14:19) 

そらそら

>>middrinn先輩
ははーーーーっ!!m(_ _)m 以降は先輩と呼ばせて頂きますか(笑)
このブログの前にSNSの日記を5年くらい続けていたんですが、文字制限と写真制限があったのでお引っ越ししちゃったんですよね;

歴史上の人物が実はどうだったかなんて知る由もないですが、調べた上ではそれほど腹黒説載っていなかったですねぇ(多分足利学校系列で調べたので、まぁ悪く書く訳にもいかなかったから、というのもあるかもですが)
フラワーパークの前身は昭和43年(1968)、足利市堀込町(現:朝倉町)に開園した「早川農園」で、当時から大藤が売りだった様です。
実は我が家の方も藤で有名な場所なのですが、藤原氏とかとは関係なかった筈(江戸時代は宿場町ではあったようですが)
でも確かに何で藤なんでしょうね。桜とか梅とかでも良いんじゃないかとも思いますが。
by そらそら (2019-05-04 23:42) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
コメント欄は承認制です。

日々すり減っていく脳細胞の代わりに記録しておく備忘録的なお出掛けetc日記

【注】コメント欄にURLは記載しないで下さい。 スパム防止のため、URLを記載するとコメント記事が消える様になっています。